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サンデーハッピーパラダイス
今日は寒かった
駒沢公園からの中継だったのですが、天気は良いのですが北風が吹いて、その風が冷たいこと!
テニスの錦織選手のように子供の頃からスポーツの英才教育を受けている子供達と親を探しに行ったのです。
まあ英才教育とまで行かないまでもけっこういるもんですねぇ。
最初に会ったのはお父さんと多摩川まで走るという五年生の男の子。
次は一輪車マラソンに参加する四年生五年生の女の子達とお母さん達。
どちらもかなり本気モードでした。
サッカーグランドではサッカーをやってる五年生の優秀な子供達を16地域から集めて試合をやってました。
流石に五年生の選ばれた子供達は上手い!
フェイントやスルーパスにドリブルと身体を張ったプレーをガンガンにやってて、観戦しているお父さんとお母さんはインタビューを申し込んでもそれどころじゃない本気モード!
ここで選ばれたら次は…、そして夢のJリーガーに一歩近づく訳ですからね。
ちょっと怖かったです。
駒沢公園にはスケートボードパークもあってここでも五年生が頑張ってました。
お父さんに教えられて二年生から始めた男の子が上手いしかっこいい!
ちゃんと受け答えが出来て礼儀正しいのです!素晴らしい
寒かったけど頑張ってる子供達を見るのは元気をもらいます。
帰り道、公園の梅園でチラホラ咲いてる梅を愛でてきました。
駒沢公園からの中継だったのですが、天気は良いのですが北風が吹いて、その風が冷たいこと!
テニスの錦織選手のように子供の頃からスポーツの英才教育を受けている子供達と親を探しに行ったのです。
まあ英才教育とまで行かないまでもけっこういるもんですねぇ。
最初に会ったのはお父さんと多摩川まで走るという五年生の男の子。
次は一輪車マラソンに参加する四年生五年生の女の子達とお母さん達。
どちらもかなり本気モードでした。
サッカーグランドではサッカーをやってる五年生の優秀な子供達を16地域から集めて試合をやってました。
流石に五年生の選ばれた子供達は上手い!
フェイントやスルーパスにドリブルと身体を張ったプレーをガンガンにやってて、観戦しているお父さんとお母さんはインタビューを申し込んでもそれどころじゃない本気モード!
ここで選ばれたら次は…、そして夢のJリーガーに一歩近づく訳ですからね。
ちょっと怖かったです。
駒沢公園にはスケートボードパークもあってここでも五年生が頑張ってました。
お父さんに教えられて二年生から始めた男の子が上手いしかっこいい!
ちゃんと受け答えが出来て礼儀正しいのです!素晴らしい
寒かったけど頑張ってる子供達を見るのは元気をもらいます。
帰り道、公園の梅園でチラホラ咲いてる梅を愛でてきました。
娘からの手紙
TwitterとFacebookと遠近両用眼鏡()
昨年からTwitterを始めてみました。
情報の発信源として勧められて登録したのですが…、
なんだかいっつもiPhoneを開いてなければならないような…。
僕には他にやる事が沢山あるのに…、いわゆるテレビのようにそれに全てを奪われるようなそんな気がしてなんともしっくりこなかったのです。
それと何人かの方をフォローしてみたのですが、某有名企業の方に対するツイットには意見というよりはイチャモンのようなものも多くて嫌になってしまいました。
そんな昨年の年末、かみさんの従兄弟が福岡から遊びに来てFacebookを勧めてくれた。
恐る恐る登録するとすぐにあなたの友人や知り合いとおぼしき方たちがいるとのお知らせが表示されました。
早速友達承認のお願いを送ると続々承認のお知らせが返ってきました。
Twitterに比べると安心感があるのでとても気に入りました。
さて気に入ったのは良いのですが、最近老眼が進行していちいち眼鏡を外してiphoneの画面を読むのがちょっと煩わしくなって来たのです。
そんな折、義母を銀座の眼鏡屋さんに送って行くという大役を拝命。
その店ではご愛顧感謝と震災への寄付を兼ねてお買い上げの方にはフレームをもう一つ、こちらはこちらが値段を決めるというキャンペーンをしていたのです。
条件はレンズはお店で入れること。
そこでRaybanのフレームに遠近両用レンズを入れてもらうことにしました。
初めての遠近両用眼鏡はちょっとクラクラとしましたが、慣れて来るとなかなかの優れものでした。
優れものでしたが、家族のリアクションはいまいち…。
特に娘は「お父さんの新しい眼鏡ちょっと怖いから前の眼鏡にして!」
かみさんも「良いと思うけど、ちょっと眼鏡の主張が強すぎるというか、ちょっとレトロというか…」

あっ、日曜日のニッポン放送サンデーヒットパラダイスの中継のとき、元大関栃東の玉ノ井親方が通りかかったので、写真取ってもらいました。
情報の発信源として勧められて登録したのですが…、
なんだかいっつもiPhoneを開いてなければならないような…。
僕には他にやる事が沢山あるのに…、いわゆるテレビのようにそれに全てを奪われるようなそんな気がしてなんともしっくりこなかったのです。
それと何人かの方をフォローしてみたのですが、某有名企業の方に対するツイットには意見というよりはイチャモンのようなものも多くて嫌になってしまいました。
そんな昨年の年末、かみさんの従兄弟が福岡から遊びに来てFacebookを勧めてくれた。
恐る恐る登録するとすぐにあなたの友人や知り合いとおぼしき方たちがいるとのお知らせが表示されました。
早速友達承認のお願いを送ると続々承認のお知らせが返ってきました。
Twitterに比べると安心感があるのでとても気に入りました。
さて気に入ったのは良いのですが、最近老眼が進行していちいち眼鏡を外してiphoneの画面を読むのがちょっと煩わしくなって来たのです。
そんな折、義母を銀座の眼鏡屋さんに送って行くという大役を拝命。
その店ではご愛顧感謝と震災への寄付を兼ねてお買い上げの方にはフレームをもう一つ、こちらはこちらが値段を決めるというキャンペーンをしていたのです。
条件はレンズはお店で入れること。
そこでRaybanのフレームに遠近両用レンズを入れてもらうことにしました。
初めての遠近両用眼鏡はちょっとクラクラとしましたが、慣れて来るとなかなかの優れものでした。
優れものでしたが、家族のリアクションはいまいち…。
特に娘は「お父さんの新しい眼鏡ちょっと怖いから前の眼鏡にして!」
かみさんも「良いと思うけど、ちょっと眼鏡の主張が強すぎるというか、ちょっとレトロというか…」
あっ、日曜日のニッポン放送サンデーヒットパラダイスの中継のとき、元大関栃東の玉ノ井親方が通りかかったので、写真取ってもらいました。
北の脇海水浴場
平成24年元旦AM6時7分
クリスマスと合唱
宮澤清日子彫刻展
ゴロー、おつかれさま
人生の転機
気が付けば9月23日からブログの更新をしていなかった。
気が付けば…というより、そんな気分になれなかったというのが正直なところなのだ。
僕の母親は82歳。
8年程前から認知(物忘れをする)の症状が現れ、現在は要介護1の認定を受けている。
父親も82歳だがまだ元気で毎日の畑仕事と大好きなビールを楽しみながら認知症の母親の面倒を見てくれている。
その父親が5月の初めに風呂場で転倒し大腿部を骨折した。
原因は…ビールをしこたま飲んで酔っぱらっていたのだ。
すぐに病院に運ばれたのだが手術の前に一週間程かけて酒を抜かなければいけないぐらいに酒に飲まれていた。
その時は大阪に住む姉が付き添ってくれたのだが、ベットに寝ている父親は何事かぶつぶつ言いながら両手で何かを追い払うような、つかもうとするような、いわゆるアルコール中毒が抜けるときの幻覚が見えていた。
なんとかアルコールが抜けてやっと手術を受けることに。
手術を受ける箇所は右大腿と骨盤を繋いでいる骨頭付け根なのだが、82歳では骨の再生を期待するわけにもいかないので大腿骨を途中で切断し、チタンで出来た人工骨頭を差し込んで骨頭部分を骨盤に嵌め込むという。
はたして手術は無事に終わりひと月もしないうちにかなりスイスイ歩けるようになった。
元気になった父親は退院を前に姉と”もう酒は飲まない。もし飲んだら母と二人でケアハウスに入る”という約束をした。
8月。神戸での展覧会も沢山のお客様がいらして下さり大成功!
そして展覧会千穐楽の次の日にみんなと別れ僕は”青空の休暇”の鹿児島公演のため伊丹空港に向かった。
空港に着くと、徳島の実家に「九州から帰京したら家族で徳島に帰省する」と電話をしたのだがどうも父親の様子がおかしい…というか妙に機嫌が良い。
次の週明け、徳島の実家に着いてビックリ。
父親が昼も夜もビールを飲んでいて、昼間は死んだように眠って、明け方近い深夜にビールを飲みながら何やらブツブツ喋っている。
なんとかしらふに近い状態の時に父と話すと『もう生きる気力が無い。残りの時間は好きなように生きたいからビールを飲む。放っておいてほしい』という答え。
母のことも含めいろいろ話したが無気力状態は変わらない。
母は『飲んで困る』と言うかと思えば『好きなようにさせてやってほしい』と言い出すやらで話しにならない。
このまま家で余生を過ごさせてあげたいと思っていたが、生活全般が侭ならない母親と、気力を無くして酒浸りの父親。
家内と僕は「父は年内持たない」という意見で一致した。
それから家内と子供達には申し訳ないが時間があれば実家に戻り立ち直らせようとしたが状態はますます悪くなるばかり。
仕方なく10月初旬、姉と一緒に夫婦で入れるケアハウス探しをした。
空きのあるハウスを探すのも大変なのに夫婦一緒に部屋で暮らせるハウスなんてと諦めかけて最後にちょっと覗くだけと行ってみたケアハウスに…、なんと夫婦部屋に空きがあった。
海の側で畑もあり、とてもアットホームな雰囲気で、入所している方々もとてもフレンドリーで申し分無い。
ここに決めた!
それから父親を病院に行かせるためいろいろ作戦を練った。
病院の先生のご協力をいただきちょっとだけ嘘もついた。
僕の説得では頑として動かなかった父も、可愛い女医さんに説得されるとコロリと方針転換してそのままアルコール抜き入院。
12日間の入院で退院の許可が出たので、うちに帰らずそのままケアハウスに直行。
二人が入所してから数日間、必要な物を取りにいったり、転居にあたって役所や銀行等に届けを出したりで実家とハウスを行ったり来たりした。
入所する前は『厄介者の年寄りは追いやられるんだなぁ』ととこぼした父親も、『ここはなかなか良い所だ』ととても気に入った様子。
母親も歌の会や体操の会などに誘われて『落ち着く暇がない』とこぼしているがとても楽しそうにしている。
正直ホッとした。
心から安心した。
小学生の時、いつかは親が死ぬということを知り、怖くて布団の中でずっと泣いていた夜があった。
いつだって父親と母親が僕を守ってくれると思っていたから、突然ひとりぼっちになってしまったようで本当に怖かった。
いつしかそんなことも忘れ、中学卒業とともに家を出てアパート暮らし。
そのまま東京に出て自分勝手にやりたい放題。
いつまでたっても頼りない息子を遠くから心配し、見守り、理解し、応援してくれる父と母。
そんな僕が両親をケアハウスに入所させた。
そうしなければ二人が危険だから仕方のないことだけれど…。
もしかしたら、いや、ほぼ間違いなく二人はあの家で暮らすことはもう二度と無いだろう。
人生には転機というものがあり、それはどこか運命で決まっていて逃れることは出来ないのだろうけど。
大好きな父と母の人生の転機を僕が決めるとは思ってもみなかった。
本公演がドタキャンになり急遽「あちらをたてれば、こちらがたたず」を上演することになり、明後日から稽古が始まるという日、何か問題はないか最終確認に家に戻った。
生活に必要な物を持って行ったとはいえ、家の中は二人が生活していた時のそのままに近い状態。
冷蔵庫の中の物を処分して、台所、茶の間、風呂、トイレと掃除を済まして、家中の雨戸を閉め表に出る。
道路から眺めた家は…、
幼い姉と僕を育ててくれた家は…、
55年前両親が建て、長年暮らした家は…、
ちょっと小さくなったようで…、
寂しげに見えた。

気が付けば…というより、そんな気分になれなかったというのが正直なところなのだ。
僕の母親は82歳。
8年程前から認知(物忘れをする)の症状が現れ、現在は要介護1の認定を受けている。
父親も82歳だがまだ元気で毎日の畑仕事と大好きなビールを楽しみながら認知症の母親の面倒を見てくれている。
その父親が5月の初めに風呂場で転倒し大腿部を骨折した。
原因は…ビールをしこたま飲んで酔っぱらっていたのだ。
すぐに病院に運ばれたのだが手術の前に一週間程かけて酒を抜かなければいけないぐらいに酒に飲まれていた。
その時は大阪に住む姉が付き添ってくれたのだが、ベットに寝ている父親は何事かぶつぶつ言いながら両手で何かを追い払うような、つかもうとするような、いわゆるアルコール中毒が抜けるときの幻覚が見えていた。
なんとかアルコールが抜けてやっと手術を受けることに。
手術を受ける箇所は右大腿と骨盤を繋いでいる骨頭付け根なのだが、82歳では骨の再生を期待するわけにもいかないので大腿骨を途中で切断し、チタンで出来た人工骨頭を差し込んで骨頭部分を骨盤に嵌め込むという。
はたして手術は無事に終わりひと月もしないうちにかなりスイスイ歩けるようになった。
元気になった父親は退院を前に姉と”もう酒は飲まない。もし飲んだら母と二人でケアハウスに入る”という約束をした。
8月。神戸での展覧会も沢山のお客様がいらして下さり大成功!
そして展覧会千穐楽の次の日にみんなと別れ僕は”青空の休暇”の鹿児島公演のため伊丹空港に向かった。
空港に着くと、徳島の実家に「九州から帰京したら家族で徳島に帰省する」と電話をしたのだがどうも父親の様子がおかしい…というか妙に機嫌が良い。
次の週明け、徳島の実家に着いてビックリ。
父親が昼も夜もビールを飲んでいて、昼間は死んだように眠って、明け方近い深夜にビールを飲みながら何やらブツブツ喋っている。
なんとかしらふに近い状態の時に父と話すと『もう生きる気力が無い。残りの時間は好きなように生きたいからビールを飲む。放っておいてほしい』という答え。
母のことも含めいろいろ話したが無気力状態は変わらない。
母は『飲んで困る』と言うかと思えば『好きなようにさせてやってほしい』と言い出すやらで話しにならない。
このまま家で余生を過ごさせてあげたいと思っていたが、生活全般が侭ならない母親と、気力を無くして酒浸りの父親。
家内と僕は「父は年内持たない」という意見で一致した。
それから家内と子供達には申し訳ないが時間があれば実家に戻り立ち直らせようとしたが状態はますます悪くなるばかり。
仕方なく10月初旬、姉と一緒に夫婦で入れるケアハウス探しをした。
空きのあるハウスを探すのも大変なのに夫婦一緒に部屋で暮らせるハウスなんてと諦めかけて最後にちょっと覗くだけと行ってみたケアハウスに…、なんと夫婦部屋に空きがあった。
海の側で畑もあり、とてもアットホームな雰囲気で、入所している方々もとてもフレンドリーで申し分無い。
ここに決めた!
それから父親を病院に行かせるためいろいろ作戦を練った。
病院の先生のご協力をいただきちょっとだけ嘘もついた。
僕の説得では頑として動かなかった父も、可愛い女医さんに説得されるとコロリと方針転換してそのままアルコール抜き入院。
12日間の入院で退院の許可が出たので、うちに帰らずそのままケアハウスに直行。
二人が入所してから数日間、必要な物を取りにいったり、転居にあたって役所や銀行等に届けを出したりで実家とハウスを行ったり来たりした。
入所する前は『厄介者の年寄りは追いやられるんだなぁ』ととこぼした父親も、『ここはなかなか良い所だ』ととても気に入った様子。
母親も歌の会や体操の会などに誘われて『落ち着く暇がない』とこぼしているがとても楽しそうにしている。
正直ホッとした。
心から安心した。
小学生の時、いつかは親が死ぬということを知り、怖くて布団の中でずっと泣いていた夜があった。
いつだって父親と母親が僕を守ってくれると思っていたから、突然ひとりぼっちになってしまったようで本当に怖かった。
いつしかそんなことも忘れ、中学卒業とともに家を出てアパート暮らし。
そのまま東京に出て自分勝手にやりたい放題。
いつまでたっても頼りない息子を遠くから心配し、見守り、理解し、応援してくれる父と母。
そんな僕が両親をケアハウスに入所させた。
そうしなければ二人が危険だから仕方のないことだけれど…。
もしかしたら、いや、ほぼ間違いなく二人はあの家で暮らすことはもう二度と無いだろう。
人生には転機というものがあり、それはどこか運命で決まっていて逃れることは出来ないのだろうけど。
大好きな父と母の人生の転機を僕が決めるとは思ってもみなかった。
本公演がドタキャンになり急遽「あちらをたてれば、こちらがたたず」を上演することになり、明後日から稽古が始まるという日、何か問題はないか最終確認に家に戻った。
生活に必要な物を持って行ったとはいえ、家の中は二人が生活していた時のそのままに近い状態。
冷蔵庫の中の物を処分して、台所、茶の間、風呂、トイレと掃除を済まして、家中の雨戸を閉め表に出る。
道路から眺めた家は…、
幼い姉と僕を育ててくれた家は…、
55年前両親が建て、長年暮らした家は…、
ちょっと小さくなったようで…、
寂しげに見えた。
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